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メンバーコラム

月と日本語

竹内 慶コンサルタント

2015.01.8 Thu

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私たちは、言葉で理解し、言葉で考え、言葉で伝えています。

日本語には、月の満ち欠けを表すのに14もの言い方が存在します。
新月または朔(さく)、三日月、上弦の月、十三夜(じゅうさんや)、小望月(こもちづき)、満月、十六夜(いざよい)、立待月(たちまちづき)、居待月(いまちづき)、寝待月(ねまちづき)、更待月(ふけまちづき)、下弦の月、有明の月、三十日月(みそかづき)。

立って待つ月、座って待つ月、寝て待つ月という呼び名から、生活の中で月を自分ごととして感じていること、古来より、私たちがどれだけ愛着を持って月を眺め、日々の変化に敏感であったかが伝わります。日本語には、このように、細かな変化を見逃さない丹念さ、繊細さがあります。

反対に、対象の全体をまるごと捉えようとする日本語もあります。
例えば、短歌。明恵上人(鎌倉時代前期の高僧、『鳥獣戯画絵巻』で有名な高山寺の開山)というお坊さんは、月を愛する歌人でもあり、月に関するたくさんの歌を残してします。

雲を出でて 我にともなふ 冬の月 風や身にしむ 雪や冷たき
山の端に われも入りなむ 月も入れ 夜な夜なごとに また友とせむ
くまもなく 澄める心の かかやけば わが光とや 月思ふらむ
あかあかや あかあかあかや あかあかや あかあかあかや あかあかや月

三十一文字という制限の中で対象の本質を表現しようとすると、細部を云々している場合ではない、月をまるごとぜんぶ表現するにはどうしたらいいか、そんな歌人の呻吟が頭に浮かびます。月を愛するあまり、月を友のように感じ、月の気持ちを想像し、ついには自分と月がひとつになってしまった、そんな境地が感じられます。

繊細に分けること、全体をつかむこと。どちらにも共通しているのは対象(自然)と自分とを切り離さず、一体であることを重んじる日本語の思考です。

しかし、そのさらに背後に共通してある、より大切なことは、言葉にする前に黙って月と向き合った時間の長さであり、言葉にしてわかったつもりにならず、ただただじっと月と向き合った時間の濃密さではないかと思います。
言葉はどうしても、対象を断片に分け、わかったつもりにさせる作用を持っています。そのことに耐えるからこそ、言葉は、逆に豊かに鋭くなっていく。

無理矢理ふだんの私たちの仕事にこじつけると、ここ数年、ビジネスの世界ではエスノグラフィ調査がさかんに行われるようになってきました。仮説を検証するための調査ではなく、先入観や思い込みを捨て、まっさらな頭で現場に入り、目に映るもの、耳に聞こえるもの、体で感じることから気づきを得ようという調査のやり方です。
 ここでも重要なのは、気づいたことをすぐに言葉に置き換えて理解した気にならず、沈黙に耐えて観察を続けるがまん強さです。最終的に、気づきを自分の中でまとめあげ、人と共有するのに、言葉はもちろん有効かつ重要です。ただ、その前の「言葉にしない時間」の濃さが、言葉の質を左右すると思うのです。

言葉の、とりわけ日本語の力や特性と、言葉にせずに対象と向き合う姿勢と。どちらも大切にしながら「コミュニケーション」の仕事に関わっていきたいと思います。