未来のための革新をデザインする。

博報堂ブランドイノベーションデザインは3つの専門ユニットが連携しています

博報堂ブランドデザイン

ブランディングの全プロセスを一貫してサポートする専門ユニット

詳しく見る

博報堂イノベーションデザイン

企業や社会のイノベーションを支援するための専門チーム

詳しく見る

HUX

事業戦略をUX起点でリードし、
製品やサービスを開発するチーム

詳しく見る

メンバーコラム

あいまい部長

軽部 拓副代表

2014.10.15 Wed

先日社外の友だちから、私の部長の指示があいまいで困っているんです、という話を聞きました。しかも、指示があいまいなのに、結果に対して部長の中に期待水準があって、そこに到達した仕上がりになっていないとこっぴどく怒られるのだそうです。
この話を聞いて、指示があいまいなのは一概によろしくないとも言い切れないなぁ、という気がしました。
それは、大人のたしなみ「想像し合う」がそこにはあるからと思ったからです。

日本語の文章はそもそもすべてを表現し切らず、あいまいさが内包されていますよね。主語を飛ばしたり、動詞を飛ばしたり。はたまた、真意を全く書かずに気持ちを伝えようとしたり。

そのあいまいな部分を楽しむのが、いわゆる日本の「大人の遊び」です。
日本人は行間が好きなんだと思います。
すべてを表現せずに、無意識のうちに、この行間を使いこなします。
そもそも日本語の仕組みが、行間という余白をつくるような仕組みになっているんですよね。英語は「A is B」と言えば「A=B」という、誰もがブレない解釈をすることができます。日本語は、5・7・5のたった17文字ですべての世界を描こうとします。あえて引き算をして文字を減らし、人によって解釈が異なるような余白を生み出します。そこを詠み手と聞き手がお互いに自分の想像力を使って、余白を埋め合うような仕組みになっていると思うんです。
それが時には連歌のようにつながり、想像が想像を呼び込み、脳の中が活発に動いて熱っぽくなったりする。そんな状態を「大人の遊び」として楽しんでいるんだと思います。

なので、我々は、あいまいな指示のときの方がその先を想像し、何かを生み出そうという意欲が湧くのではないのかと思うのです。これが「A is B」という指示だったら、解釈の余地がなく工夫のしようもありません。それでは面白くないし「A is B」以上のアイデアは生まれない。あいまいさがあるからこそ「大人のたしなみ」として、そのあいまいさに挑み、挑んでいる最中に出るアドレナリンを愉しめるのではないでしょうか。

ゆるぎないブレない解釈で議論を積み重ね考えをぶつけ合う、いわばディベートをするのにふさわしい言語の中で生きるより、あいまいだけどその分解釈の余地があり、お互いが想像の輪を広げてそれが交わるところに次の次元の世界を生み出そうとする言語の中で生きる方が、私は楽しい。

だから、あいまい部長に応えてあげて!笑
そもそも人間としていかがなものかと思うような部長なら何言われてもイヤなんですけどね。